かなり忙しかった一週間 「2004年2月」

かなり忙しかった一週間
2004年2月16日月曜日、朝からなんとなく落ち着かない。こんなときはたいてい何かあるんだよなー・・・と、思っていると、昼過ぎにU氏から電話が入る、アーチャリアグルのところから連絡が入り、緊急の要件があるのですぐにインドに出発するということである。 
『すぐっていつですか?』
『今飛行機の便を調べているのでまだ分からない、とりえず早く知らせておこうと電話をしたわけだが、無理はしなくていいから、また後で電話する』。
約1時間後U氏から
『時期が悪いのか、いつもならもう少し便に余裕があるのだが、JALが満席で取れない、インディアンエアーラインが明日の夕方か水曜日の昼なら何とかなりそうなのでそれで行ってくる。』
『すみません、できれば水曜日にしていただけませんか?』
『どうして』
『私も、何とかして行きますので』

 と言うことで、過去インド渡航暦中最短日数でインド行きが決定してしまった。当日の夜あわただしく荷造りをし、翌日の火曜日はその週の予約の患者さんに電話やフアックスをかけまくり、予約の変更をお願いする。
とりあえず火曜日の予約の患者さんはそのまま治療を行うことができた。予約の変更を行った患者さんには、「ははははー、先生またですかー」、「先生お気をつけてー、今年何回目ですかー」、「わかりましたー、好きですねー」・・・など、など、言われる。怒られるよりましだと思っている、やはり11年もこんなことを続けている努力?は無駄ではない。
これでいいのかなー?。

 火曜日の予約の患者さんを治療後、新幹線で大阪へ、心斎橋のホテルに着いたのが11時頃ごろだった。
翌水曜日、寝過ごして心斎橋のホテルを8時20分ごろ出る、難波8時30分発の関西空港行き、南海電車エクスプレスに乗ったとたんに乗車の扉は閉じられた。関西国際空港は春休みのせいか、かなり混み合っていた。

 少し前までは昼間に飛ぶインデイアンエアラインは、ビジネスクラスよりエコノミークラスのほうが楽なくらい、空いていたのであるが、(なぜなら、座席に横に寝られるから)この日はなんと、満席であった。いったいこんなときに皆さんは何をしにインドくんだりに行くのだろう、まったく物好きな人もいるものである。

 JALの直行便なら成田からデリーまで行きは約9時間である、今回は関西空港―香港―デリー―ムンバイと飛行し、途中トランジットが入るので約13時間あまり座席に拘束を受ける。結構大変ではあるが、これも修行の一部と割り切るしかない。

 


 インディアンエアーラインにしては珍しいくらいほぼ正確に搭乗機はムンバイに到着した。ムンバイ空港のすぐそばのインターコンチネンタルホテル・サハラエアーポートムンバイにチエックインを終えたのは夜の12時過ぎだった。開業してまだ1年余りとのことで、ムンバイにしては大変こぎれいなホテルである 。

部屋でシャワーを浴び、仮眠をとった後、4時起床、5時ホテル出発、5時20分インド国内線、ジェットエアーに搭乗チエックイン。この時、なにやら空港のスタッフがあわてている。ジェットエアーはインド国内線隋一のサービスを誇る会社である。(急げ、走れ、)と言っている様である。インド人が慌てるなど珍しいのであるが、スタッフのきれいなお姉さんが先導して、別の便の搭乗手続きで並んでいるインド人の長い列を掻き分け、走り出した。とりあえず後について走ると、いつもはセキュリテイチエックに30分はかかるボーディングの道のりを、ほんの1分程度で通り抜けてしまった。
何ともありがたく,これで7時の搭乗時間までゆっくり休めると思っていると、なんと、フライトの時間は5時40分だという、ここでも、われわれが飛行機に搭乗すると同時に、搭乗口は閉じられ、アーメダバードに向かい機体は離陸した。

 


約1時間のフライトの後、搭乗機はアーメダバード空港に着陸した。いつも合流するはずのビリンダ・バンダリ氏は、今回は所用で来られない。というわけで、われわれだけで今回の目的地マウント・アブーにたどり着かなければならない。

マウント・アブーもまたジャイナ教の聖地である。アーメダバード空港にコックス&キングス社のチャーター車を依頼しておいた。依頼したコックス&キングス社はツアー代理店としては世界でも指折りの老舗である。その代理店はわれわれの行先がマウントアブーであると聞いてずいぶんと驚いていた。「そんなところへ日本人が何しに行くんだ?という顔をしながら」。そんなところへ行くのなら、とりあえず、会社へ行ってボスの了解を得るからと、コックス&キングス社、アーメダバード支社へ寄ることとなった。その後、マウント・アブーへの出発となった。今回のチャーター車は、見かけは不細工だが広さは余裕があり大変快適である。車の後部天井の上にはあたかもマンションの1室に付けるかのようなエアコンがついている。さすがインド、ただ、相変わらずエアコンの効きすぎでとっても寒い。

マウント・アブーもジャイナ教の聖地である。アーメダバードから車で約6−7時間(寝ていたのでよく時間が分からなかった)標高、1220メートルのナキー湖畔に開けた町にたどり着く。ディルワーラー寺院群と呼ばれるジャイナ教寺院が建てられている。インド北西部の、比較的砂漠地帯の多いこのあたりでは1220メートルの山地といえばもう立派な避暑地である。だらだらとどこまでも上る、車がやっとすれ違えるほどの山道を、われわれのワゴン車はまさにだらだらと登る。ガードレールのない山道は、効きすぎのエアコンを、一掃寒く感じさせる。
登り始めて2時間余り、ディルワーラー寺院群の入り口にやってきた、車を降りて寺院の入り口まで土産物屋が並ぶ道を歩く。寺院の入口に入場料3ルピーと書いてある。ジャイナ寺院はどこも       





白い大理石造りであり、とてもインドとは思えないような清潔さと荘厳さを感じる。ただ、ここディルワーラー寺院郡は、われわれが指導を受けているアーチャリアグルの白衣派とは少し異なる派閥が中心であるような気がする。ここへ来る途中でも何度かアーチャリアグルの居所を尋ねたのだが全くその場所がつかめなかった。いずれにしてもこのあたりに居られる事は間違いない。今まで一度もコンタクトを取れなかったことは無いのだが今回はどうも、直接お目にかかるのは困難なようである。

 とりあえずディルワーラー寺院の中を散策していると小高い寺院群の一部にあまり人が入らない一角がありちょうど日陰になっている。われわれはここで瞑想にはいることにした。・・・さすがに聖地、しかもジャイナ教寺院の中であり、周りの暑さにもかかわらず、深いところに簡単に入ることができる。・・・一同しばし瞑想・・・瞑想には、いろんな手法、目的がありその者のレベルに伴い色々なことが可能である。たとえば

・日々を振り返る
・ 自己の本質を見つめる
・ チャクラオープン
・ 魂の清掃
・ 遠隔透視
・ 神との対話

等等あり、われわれはそれぞれ瞑想の達人である。とりあえず各々しばらく瞑想をし、自己の本質や、アーチャリアグルと対話をした後、《途中略す・・・》それでは行きましょうか・・・、そうですね・・・、ということとなった。
 
 時間は既に夕刻となり細く曲がりくねった山道をふもとまで戻るには危険であるし、急ぐ理由も無いのでこの日はこのディルワーラー寺院から5分ほど離れたホテルに宿泊することとなった。さすがにまだ避暑の時期には早いのでホテルは閑散としていた。多分このあたりではトップクラスのホテルだろう、芝生が緑色をしている。この水の少ないインドの山地で、芝生を管理するのは大変なことだと思う。また、水の張ったプールもあった。ただし、我々が泳ごうと思えるようなものではない。インドの金持ちが見栄で自宅の庭にまず作りたがるのがプールである。そしてそのプールはめったに使われることはなく、来客があったときに見せびらかすためである。ちなみに、このコテージに毛の生えたようなホテルの名前は,《ヒルトン》であった。[もちろん、あのヒルトンホテルチェーンとは何の関係もない]この日は久しぶりにゆっくり眠ることが出来た。



翌日は朝少し早めに起床し一帯を散歩する。
寺院以外何もないところであるのがよく分かる。昨日、寺院の中で出会ったインド人の女子高生らしい一団が早朝から出発の仕度をしている。
9時にホテルヒルトンを出発した、昨日は半分寝ていたので気づかなかったが、下りで見るとかなり本格的な山岳地帯である。インド国内では、こんな本格的な山岳地帯は7−8年前に行ったコダイカナール以来である。

アーメダバード空港に夕方到着し、7時のジェットエアーに乗る、今度は普通に搭乗できた。約1時間後、ムンバイ空港に着陸し、再びインターコンチネンタルホテルホテルに到着したのは9時過ぎだった。とりあえず今週の内では大変楽な1日であった、就寝前の行と翌日の帰国の仕度を済ませ、眠りについたのは12時過ぎだった。

 翌日は朝6時ごろ起床、朝行をし、その後本を読んでいると、外のステイチュー屋(彫像屋のこと、日本なら仏像屋なのだが、シバ神、ラーマ神などインドの神様の彫像なら何でもある)に行こう、という連絡が入る。インディアンエアラインは夕方7時過ぎの出発なので時間は十分ある。ホテルのタクシーをチャーターし、ムンバイの街中へ出かけることとなった。ところが、目指す店がなかなか見つからない。もともとムンバイの町は空港と中心部が離れているのでわざわざ空港のそばのホテルに泊まっているのだが、あまり遅くなるわけにはいかない。しばらく車で街中を迷っているうちに偶然その店を発見し、何とか事なきを得た。H氏はかなり高額の品を購入されたようだった。インターコンチネンタルホテルに帰ったのは3時、シャワーを浴び、慌てて荷造りをしてホテルを出たのは4時だった。

ムンバイ空港は数年前の、いかにもインド臭がする汚い空港から大変身中である。待合室の椅子も、町の子汚いコーラ屋の椅子から、国際線の足を伸ばして寝られる椅子にかわっている。デューティーフリーショップも、町の雑貨屋から、主要国際線の免税店に変わりつつある。ただ、見てくれは大いに変わりつつあるのだが、免税店の親父の態度は相変わらず、もっと買えということで、少しも変わっていなかった。
帰国のインディアンエアーラインはまたも満席で約13時間のフライトの後、日本時間朝8時に成田に到着した。とりあえず一番早く帰られる便がこれだったのである。明日は月曜日、通常通りに診療の予約が入っている、結構忙しかった1週間であった。

 

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