秘伝伝授

 2002年9月,今回の渡印は、過去約二年間行ってきたジャイナ教グルの直接指導による修業のうちでも一つの区切りとなるハードな9日間だった。

 ジャイナ教は以前にも書いたように、その起源を仏教と同時期に発し、マハーヴィーラがその始祖である。

 ジャイナ教の戒律は大変厳しく、教徒は全て菜食主義であり、不殺生、不盗、不淫などを基本とする。出家するものは幼少の頃から修行を始め、グルに付き直弟子となる。
 
 グルとともにインド中を徒歩で行脚し、教徒に教えを説き、祝福を与え、その間にも自ら研鑚、修行を行う。

 グルたちはそれほど多くの直弟子を取らないようであり、それゆえにグルから弟子への直接の教育は、古代の秘伝を現在に正確かつ数多く伝えているようである。

ダリラジャハラ村のジャイナ教寺院にて

 今回の修業はあたかも生徒が、1学期の期末テストを受けるようなものであった。

 テストの前には、その期末テストを受ける資格を問われる面接があり、まず、我々が直接指導を受けているMグルのグルに会わなければならなかった。

 2年前、この修業シリーズを開始した時に、やはりMグルの大グルに挨拶へと赴いた。

 この大グルは既に肉体は持っておられないが、デリーから西へインド国内線で二時間、そこから車で片道4時間のところに大グルの御廟があるのでそこへ挨拶に行ったのである。

 今回のグルはまだ現役で生きておられるというので、それはそれで楽しみはであった。
 しかしグルのいる場所は、デリーから西南西へインド国内線で約2時間、イスラム過激派のテロが頻発する地区である。

 我々は、アーメダバード空港へと飛び、オフロードタイプのチャーター車に乗り換えてさらに北西へ4時間ほど走り、ジャイナ教の聖地パリタナへやっとの事で到達した。

砂漠地帯での休憩

 我々が到着したころ、グルのグル、(マニプラブー サーガルジ)は、水断ちの修業の真っ最中であった。

 彼らは普段から食物の制限がある上に、この2ヶ月間は、3日に1度の食事で、水の使用を極力控え、あらゆることに水を最小量しか使わないという(もともとグルになると、日が沈んで朝日が昇るまでの間は水を含め一切のものを口にしない)。

 おそらく、グルのレベルではこの程度の修業などどうという事もないのであろうが、さすがにジャイナ教、この修業に数十人の信者が付き従い、同じ修業をしていた。

 しかも、半分以上が女性信者である。女性信者はこの期間、服も2枚しか使用しないそうだ。
 しかし、この地方一帯が砂漠地方であるためか、別段臭くもなく汚れているようにもみえなかった。

 修業好きの私であるが、さすがにこの水断ちの行だけは遠慮したいと思った。シャワーが何より好きだからである。

 グルとの面接は好印象のうちに終了した。いつもの事であるが、ジャイナ教のグルは周辺の人々を集め、スピーチをする。

 そこが村ならば、村の寺院の広間だとか、村の広場とかがスピーチ会場となる。日本であったら、そんなところにスピーチを聞きに人が集まるわけがない、と思われるような場所だ。

 インドの田舎村の気質なのか、ジャイナ教の人々が純朴なせいなのか、とにかく村人がよく集まってくる。

 そこで、必ず我々は挨拶をさせられ、表彰を受けさせられるのが最近の通例になっている。

 ちなみにこの様な集会は殆んど毎日行われている。
 我々は夜の集会場で見世物にされ、大歓迎を受け、何やらわけのわからぬまま表彰され、パリタナを出発したのは、その日の深夜であった。

ネナワにて、アーチャリアとの勉強会

 車は真夜中のインドの道を走り続けた。

 朝通ったアーメダバードの町を経て、そのまま北東に約200km離れた町グジャラート州ネナワへと向かった。
 インドの夜の田舎道を走るのは大変危険である。
道は真っ暗ででこぼこなうえにインド人の運転はあたかもサファリラリーのようである.おまけに山岳地帯には山賊も出るそうである。何とかネナワに到着したのは早朝であった。

 ここでさらに、ジャイナ教最高指導者のアーチャリアに拝謁し、今回の秘伝伝授の許可を得るためである。

 我々がアーチャリアにお会いするのはこれが2回目である。
前回はアーチャリアが体調不良であったために少し心配をしていたのだが、さすがに別次元の方である。
 以前よりもずっと元気になっておられた。80歳を少し越えているとは思えない。

無論、肉体の事など超越しておられるには間違いないのだが。

 アーチャリアは、我々がインドの子供のためにと持参した学用品のなかに入っていた。
 長さ5cm直径4mmほどのミニえんぴつを大変お気に召され、めずらしそうに長いこと眺めていた。

 確かに、こんな冗談のような物はインドには無いだろう。何が気に入られるのか分らないものである。ついでに日本の扇子も差し上げたがこちらは回りの弟子たちに好評であった。

 一方、アーチャリアは我々との再会を大変喜んでくださり、秘伝のマントラを授けてくれた。
 多くの聖者に色々なマントラを伝授していただいたが、アーチャリアのマントラの声や抑揚はは大変美しく、感動的であり、あたかも日本の演歌のようである。

 ただ欠点は、サンスクリット語でかなり長く(長いのでマントラではなく、厳密に言えばスートラに属する)、覚えるのが大変であるということである。

 無事アーチャリアへの拝謁が終わったので、いよいよ今回の目的であるMグルの元への秘伝伝授へと向かうわけであるが、ここネナワからMグルの元へ最速で行く為には、本日のうちに300キロ離れたジョドプールまで車で走り、明日の夕方5時発の夜行列車に乗り、最悪のインドの列車に約6時間乗った後、12時頃ジャイプール駅で降り、車をチャーターし、全速力でデリーの空港に戻り朝の6時の国内線ジェットエアーでライプールに向かわなければならない。

 ちなみにデリーとライプールの距離は約1500kmである。

 インドの列車に乗るのはこれで二回目である。

 前回はエアコン付きの指定席、今回はエアコン付きの寝台車である。
寝台車は上下に2列になっている部分と3列になっている部分があり、座席を折りたたみ寝台にするのであるが、3列のところの中間部の椅子を寝台状態にされると一番下のものはかなりの圧迫感があり横になっているしかなく、目がさめている状態だとあまり快適ではない。
 ちなみに私は一番下の段であった。

 ただ、例によってインドのエアコンは白熊でも寒がるのではないかと思うほど寒いので直接風が当たらず、日本人の私には丁度良い温度であった。

 インドの列車でも我々の乗ったクラスの車両ならまずまず快適なのだが、3等車ともなると相当悲惨なようである。

 床まで人はいっぱいに座り込み網棚にまで人が乗っているそうである。
 私はその状態を直接見たことが無いので自分の列車から3等車まで見学に行こうとしたのだが、どうやらスラム化した車両は一番端にあるらしくどこまで行っても見当たらない。
 日本では考えられないほど連結してある車両の数が多いのである。

 3等車へは結局辿り着けなかったが、その途中で厨房車を発見した。
 しかもさすがインド、期待に反しないものだった。

 揺れる列車の半分ほどを仕切り、こん炉で火をたき、鉄の大なべでサモーサを揚げている、日本では消防法でとても出来ないだろう。

 心配どおり車両は時々火事になるそうである。
それでも平然と同じ事を続けるのがインドのすごいところである。しかし、揚げたてのサモーサもいれ立てのチャイも大変おいしかった。

車内販売(サモーサ)

 11時に到着するはずのジャイプールに12時ごろ列車は到着した。1時間ぐらいの遅れはインドの列車にしては上出来ではあるが、これから車をチャーターし約5時間かかるデリーまで全速力で走り、デリー発朝6時の国内線に乗りライプールへ向かわなければならない。

 チャーターした車の荷台で寝ていて、気がついたらデリー空港だった。
 傍に転がしておいたペットボトルのふたがゆるんでいたようで、気が付くとズボンはぐしょぐしょだった。搭乗手続きは既に始まっていたが例によって国際線よりはるかに厳しい(デリーはテロが最も好む空港なのです)搭乗のチエックを受け、なんとかライプール行きのジェットエアーに搭乗出来た。

 今回Mグルからの教えを受ける場所は、個々から約120キロメートル離れたムンゲリと言う村である。

 ビリンダ氏の話では、その村の周囲100キロ以内にはホテルはおろか泊れる所はないと言う、今までも僻地の村に行ってきたが、それよりも田舎であるという事である。

 頼めばたぶん村のどこかで泊めてくれるだろうが、以前のダリラジャハラ村のように接待攻めに会うと、多くの時間が無駄になってしまうので(食事を1回するのに2時間以上もかかる)ライプールのホテルから車をチャーターして村へ通う事となった。

 それでも片道2時間半ぐらいかかるのだが、車の中で寝ればよいので、私にとってはシャワーが使える環境はとても幸せである。

スピーチ

 村に着いたときは既にあたりはは真っ暗になっていた。
日本と違い街路灯などは無いので本当に真っ暗である。
Mグルは村の小さなテンプルで講話をしていた。部屋は12畳ぐらいのところに蛍光灯が二本ある。そのうち一本は持ち運びのスタンドである。
 そこに村人が10数人いる。我々が部屋に入ってグルに挨拶しているうちにまた何人かがどこからか集まってきた。

 ここでも我々が持っていったお土産をみんなが大変気に入ってくれた。子供たちにあげるためのノートと24色のサインペンだったがそれでも200人分なのでダンボール箱で2箱ぐらいになり楽ではなかった。

 グルからの、ホームワークのチエックも終わりライプールのホテルに戻ったのは朝の4時ごろであった。
 2時間ほどホテルで仮眠を取った後またムンゲリ村へ向かう事となる。毎度の事ではあるが今回は特に移動がハードである。
それでも村人の接待攻めよりましである。

 秘伝と言うものは密教系のグループにはもともと多く存在する。

 秘伝の度合いにより異なるが、例えば密教タントラの中のシッディ《超能力》や欧州の錬金術などは確かに存在する。
 但し巷に流れている情報は全て操作されているものか、もともと間違いであるものを流してあるものが殆んどであると思っておいたほうが良い。

 過去に直接会ったり、教えを受けた聖者や、スワミや、ヒーラーのうちで、所謂普通の日本人が考えて、これは絶対に超能力だ、と言う能力を持った人たちは少なくとも10人ぐらいはいる。

 本来の私のインドへ来る目的は修業そのものと、患者さんに対する治療に聖者たちの手法を取り入れることである。

 べつにシッデイを得ようとして頑張っている訳ではないのだが、ついでにあるシッデイの手法を教えてもらえると言うことでこの2年ほどMグルについて学んでいるのである。

 ジャイナ教のグルや教徒の良いところはとても真面目で誠実である事である。と言っても以前学んでいたヒンドゥーの聖者や教徒を非難しているわけではない。彼等はおおらかで明るく細かい事は気にしない。
 ・・と言う事で時間の約束だけはずいぶん日本人の感覚を破壊されたものである。それはそれで今となっては楽しい思い出でもある。

マントラ披露

 グルからいろいろなことを教えてもらうのは大抵深夜である。
なんとなれば、グルたちは大変忙しくその周りには大抵信者が付きまといフリーになる時間が無いのである。
 例え少し有ったとしても、10分もたてばまた別の信者がきて
《スワミ私の悩みを聞いてください・・・》と言う事になるのである。

 その日の深夜グルと私は向かい合って座っていた。
広間の入口には鍵がかけて有り、誰も入ることができない。
しばらくの瞑想の後、特別なマントラを唱え始める。
声には出していない。
私にとっては一年以上も毎日唱えてきたマントラである。
グルのせいなのかこの場の波動が良いせいなのか、今日はなぜか特別な感覚がする。

 グルが同時に別のマントラを唱和するのが解った。
《この時私は目を閉じていたしグルは声を出していない》
それがしばらく続く、時間の長さがはっきりしない、2分なのか15分なのか、もっと長かったのか。ある瞬間に手の中ににぎっていた《もの》の感触がふと変わったような気がした。

 右手の中、と言うよりも右手の周辺のエネルギー場が尋常ではない。また少し時間が経過する、グルが何かをしてくれたようである、それからさらにしばらくしてグルが言った。
「オープン」
右手を広げて見ると私の手の中にある<もの>は形態は全く同じそのままなのだが、その色が元の<もの>とまるで違う。
よく見ると表面のつやも無くなり地肌には細かい亀裂が入っている。グルと目が合う。
「それは間違いなくおまえが自分の力で行ったことだ」
といわれる。グルがそういうのならそうなのだろうが、あまり感慨が無い。

 と言うより、全く平静でプラナヤーマと深い瞑想の後のような感じである。
そのとき起こったことは、要するに私の持っていた《もの》の物質の原子番号が2つ下がったのである。

 ヨーガの修業の途上や、スピリチュアルなトレーニング、瞑想の修練の途中などで色々な状況に出合うことがある。

 瞑想の中でアストラルの世界に入って掲示を受けたり、相手の背後霊を見たり、物を触らずに動かしたり、相手の考えがわかったり・・・など数えればきりが無いが、そういう事がたまたまできたりすると、そのことのみにはまり込んでしまう人がよくいる。
 尤もそこまで行くのもかなり大変な事なのだが。

 私の行っている修業は狭義のヨーガではないが、目的は本来のヨーガの目的と共通するところが多い。
 ヨーガ本来の目的は自我の発見、つまり本当の自分を知る事、もう少し言ってよければ自分のうちに潜む神を実現する事である。

 このことはヨーガのみならずスピリチュアルの世界でよく言われることである。最近は人間は肉体だけの存在ではないと言えば、そのぐらいの事は知っていると言って、理解をしてくれる人も多少増えてきた。
 人間の本質は神だ、とまで言ってくれる人もいる。

 そういう人でも何か人生の一大危機に遭遇するとあたふたうろたえるし、そんなに大きな問題でなくても悩んだり取り乱したりしている、本当に自分が神と思っているならそんなに取り乱さなくても良いのにと思うのだが・・。

 何年か前のインドの修業仲間のなかにもいるのだが、或る聖者のアシュラムが気に入ってしまいついにそこに居着いてしまって日本に何年も帰ってこない人がいた。

 また、別の聖者のところではヴェーダやタントラなどいろいろの事を教えてくれるプログラムがあるのだが、その珍しさにのみ目がいってしまい、つい日本の仕事や生活に支障をきたす人がいた。

 勉強や修業に熱中するのは決して悪い事ではない。しかしそれを生かす場があってこその修業である。

 全てのものを捨て修業の道に入るということが可能な、そしてその結果人の役に立てるというような人はたぶん日本人にはほとんどいないだろう。
人は今いる場で役立ってこその修業なのである。

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