| 2002年インド修業の旅 |
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2002年3月21日、2001年の年末にジャイナ教のMグルに与えられた宿題を抱え成田空港からデリー直行便に乗る。
成田空港から行きは約9時間。11時に成田を離陸すると3時間30分の時差のおかげで夕方にはインドに到着できる。
ただし、インド国内線の時間には間に合わないのでデリーから南東に2000キロ離れたライプールに飛ぶのは翌日になる。 |
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インド国内線はテロリストやハイジャックには最良の獲物である。
特に首都デリーに発着する便は彼らには魅力的である。
その危ないインド国内線に乗るために朝4時に起床しホテルから約10分しかかからないドメステイック空港に向かう。
最近特に厳しくなった搭乗の際の荷物検査と身体検査に時間がかかるからである。
空港入口の搭乗予約券の確認、スーツケースの透視検査から始まり、3〜4回の手荷物検査など時間を気にしないインド以外では絶対不可能なほど何度もチエックが行われる。
ただし内容はずさんである。そこがいかにもインドらしく、このうんざりする検査に堪えられる理由である。 |
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デリーからグルのいるライプール空港までは約2000キロの距離である。
ライプール空港からは例によってインド人のドライバーと車をチャーターしてある
。前回までは車は一台だったのだが、インドの田舎道をドライバーと案内人のビリンダ氏と我々5人がスーツケース5つと一緒に一台の車に同乗するのは辛いので、今回は2台に分乗することにした。
今回の目的地はライプールから約100キロ離れたドゥルグという町である。 |
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ドゥルグという町は思っていたよりも大きな町で、何軒かのホテルがあったので、町一番と思われるホテルに宿泊することとした。
そのことは良かったのだが、ひとつ大きな問題があった。
あとで知ったことだが、この町は、Mグルの生まれ故郷であった。
おまけに、Mグルはこの日、この町へ到着したばかりであった。
もちろん、歩いてである。
町では、大通りに面して、Mグルの顔の看板やら垂れ幕やらを連ね、大歓迎の準備をして待っていた。
そこへ我々が、日本からはるばるMグルの元へジャイナ教の勉強に来ているという噂が町に流れたものだから、町の人間は大喜びして、Mグル歓迎のパレードに我々もどうしても参加しろと言ってきた。
本来、そういうものが私は大嫌いなのだが、断りきれないのでこれも修業のうちなのだろうと考え諦めて応じることにした。 |
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パレードは,午後の炎天下のなかで行われた。
気温はたぶん約42℃。しかも私はパレードの先頭の馬に旗を持って乗せられた。行列は後から長い列を作って続いてくる。
2、30分もすると、暑さとプレッシャーでめまいがしてきた。
丁度その頃、何人かのインド人が、パレードのお祝いのアイスキャンデーを配り始めた。お祝い事や神様ごとのときにお菓子を配るのはインドではよくある事である。
当然私にも手渡されたが、断るわけにはいかないので、渋々受け取って、食べた。1本食べると、またもう一本持ってくる。
インド人のパターンである。2本食べると、3本目を持ってきた。
馬の上で目立つので、捨てることができない。傍にいたインド人の子供に、それはもらってもらった。 |
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炎天下での冷たいものは本当はとても有り難いのであるが実は、アイスキャンデーは、我々にはインドでは大変危険な食べ物である。
過去約30回のインド渡航歴のなかで、私は1回しか口にしていない。おそらく、生水の次くらいに危険性があるのではないかと思われる。
食べたものは仕方がないから、諦めることにした。
インド女性のサリーのようにカラフルな赤色や緑色をしたとても美しいアイスキャンデーであった。
ちなみにその結果は仲間の一人が下痢をしただけで済んだ。
インドのアイスキャンデーも進歩したものである。 |
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Mグルはパレードの中心人物であるのでパレードの後も信者や後援者歯の説法や講演で休む間も無く忙しかった。
それにもかかわらず夜の10時30分から我々との会談の時間を作ってくれるとの連絡がホテルに入った。
申し訳なくも嬉しく思いつつグルのご兄弟の家を尋ねしばらく歓談をしていると、誰かが入口のドアをどんどんと叩く。
しばらく無視していたがしつこくドアを叩くのでグルが鍵を開けるように言われた。 |
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鍵を空けると何人かのインド人が部屋に入ってきた。
人の話に割り込んでくるのは珍しくは無いので、またか…と思っていたが今回はやけにしつこく食い下がっている。
おそらくこの町の有力者たちであろう。
ヒンドゥー語ですらないこの地方の言葉らしく、まったく意味不明であるが恐らく次の様な内容だと思われる。
| 来訪者達 |
・・グル、本日はあなたの歓迎の為にみんなが集まって楽しい会を催しています、どうか少しだけでもご参加ください。 |
| グル |
・・昼間言った通り日本からはるばる私を訪ねてきた修行者が来ている、私は大変忙しくこの時間しか空いていないのだ、今日はおまえたちだけで何とかしておくれ。 |
| 来訪者達 |
・・そこをなんとかおねがいします。 |
そんなことを延々と繰り返していたのだが、とうとうグルのほうが折れてみんなの集会に顔を出す事になってしまった。
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夜の11時は越えていたが徒歩で約7-8分離れた集会場に行ってみると裸電球と野外テントの元200-300人が集まり大騒ぎをしている。
インドの田舎では良く見る光景である。
この状態になると、もう、その会が何の為に催されたのかなどどうでも良くなっている。
別に我々がいてもいなくても十分に盛り上がっていたが、グルと我々が会場の入口から中に入ると歓声が上がった。
その集会がいっそう盛り上がったのは言うまでもないが、この会の最後に我々一人一人が壇上に上げられ、先ほど強引にグルと我々を呼び出したこの町の有力者達が表彰状と記念品(椰子の実であったが)を渡してくれた。
後で考えてみるとどうもこの事が目的であったらしい。表彰状はもちろんヒンドゥー語で書いてあったのでまったく読めなかった。 |