修行は楽ではない、しかし神は修行者を見捨てない

 今回のインドの旅は過去20回のインド紀行の中でも最も過酷だった。

 13日間の旅行の中でインド国内線に乗ること8回、さらに日本からの国際線の往復2回が加わる。そして、国内線の飛行場があるような町が目的地であるわけがなく、そこからは車をチャーターして走ることになる。

 目的地はたいてい300キロから400キロかなたである。
インドの田舎道の300キロがどれほど過酷であるかは経験のない日本人にはとても理解できないだろう。

 未舗装の道路、牛、やぎ、インドの道路の得意技、凸面に道幅いっぱいに盛り上げた道、さらに時は雨期、田舎道は氾濫した川で寸断され、欄干のない橋はどこまでが橋で、どこからが川なのかもわからない。

 日が照れば気温はどこまでも上がり蒸し暑く、雨が降れば川や田の氾濫にいたらないまでも、道はぬかるみ牛の糞、やぎの糞、人の糞、泥、などでぐちゃぐちゃのべとべとになる。

 首都デリーから国内線インディアンエアラインで約2時間ライプールへ到着する、ただ一本の滑走路と殺風景な建物以外何もない。
 前日は大雨だったそうである、迎えにくるはずの車はやはりいない。おまけにこの空港にはタクシーらしきものは1台もいない。

 300キロ離れた村に連絡をとる、迎えの車は早朝に村を出発したそうであるが大雨で道が寸断されているため遅れているのだろうということである。

 空港の周りには店が1軒もないので辺りにたむろしていたインド人に頼み町までチャイを飲みにいく。
 ・・町までアンバサダーの全力疾走で約15分、そうこうしているうちに迎えの車が到着した、形はオフロードタイプで頼もしいが年式は何年経っているかは不明である。左後輪のタイヤは裂けかかっている亀裂が見える。

 いよいよ今回の旅の第一の目的であるジャイナ教の高僧の居られる村に向かって出発である。約2時間ぐらいは冠水した道や氾濫した川が合った割には順調だった。この調子ならほぼ予定通りにグルの居られる村になんとか到着できると気を許した時だった。

 我々のチャーターしたポンコツオフロードカーの右前輪が異音を発した、そして前輪が軋みスピードが出せなくなった。
 だましだまし走っていたが、周囲には氾濫した水以外何も無く、いよいよ状態が酷くなったので2・3キロ前に村が在ったのを思い出し、引き返すことにした。

 村に辿り着き辺りにいたインド人に尋ね修理屋を尋ね当てた。修理屋と言っても店がある訳では無い、ただ道端で車の修理をするのである。

 ここに辿り着いたとき車の右前輪はとうとう完全にロックされ動かなくなった。修理屋のインド人親父(後で分かった事だが実は大名人であった。)はハンマーと大きなドライバーのような道具を持っているだけだった。
 それらを駆使し、親父はまず右前輪を外した。さらに、シャフト・コネクターをその道具のみで外した。前輪が動かなくなった原因は前輪のシャフトの軸受けのボールベアリングが擦り切れて溶けてしまったせいだった。

 もし高速で走り続けたとしたら大事故になっていた事だろう。
道具もなく軸受けから焼き付いたボールベアリングを外す事など不可能だと思っていたところ、親父はハンマーとドライバーの親玉でそれを取り外してしまった。

 さらに、新品のボールベアリングを同じ道具で軸受けの部分に取り付け始めた。そんな事出来るものかと思って見ていたところ、あれよあれよという間に親父は軸受けを仕上げ、シャフトとスタビライザーを繋ぎタイヤを元に戻した。

日本だったら決して直ることなく新車への買い替えを勧められたことだろう。

 タイヤをセットした後、親父は愛用のハンマーでシャフトとホイールのバランスを目分量で調整していた。

とにもかくにも我々の車はまた動くようになったのである。
まだここから約230キロ氾濫した道が待っているのだが。

インド地図

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